第四監・三部


それからの一週間は、奈落さながらの苦しみだった。


毎日欠かすことなく足を運んでも、朽ちた廃屋で自分を待っているのは、リナリーではなくて、孤独という『それ』だ。


もしかしたらもう、ずっと会えないんじゃないか…。


そうした不安はあるけれど、懸念を抱き始めればきりがない。


今日は会える…今日こそは会える…。


僕はまじないをかけるように何度も心で繰り返し、挫けてしまいそうな自分を吹き飛ばす。


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「…今日もやっぱり、来ないかな。」


その日もあの一室で、テディベアのぬいぐるみ、鏡やくし、リボンの髪留めと、たくさんのおもちゃに囲まれながら、僕は彼女を待っていた。


窓の西日を受けて、部屋一面に茜色が染み込む。


室内の小隅に目をやれば、薄い陰影のなかで少女が微笑んでいる。


「まいったな、幻覚まで見るなんて。」


僕はどうしようもないくらい、リナリーを愛しているらしい。


「どうか…してるよ…。」


あまりの盲愛っぷりに、我ながら自嘲を漏らしてしまう。



「悲しい顔してるね、アレンおにいちゃん。」


突然、実在しないはずの幻が唇を開いた。


僕の耳介に聴こえたのは、ソプラノのきいた声、愛しい少女の声、間違いなくリナリーの声だ。


「…いつから…ここに…」


「さっきからいたよ…?


 でも、おにいちゃんすごく悲しい顔してたから…


 わたし、話しかけられなくて…」


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「ア、アレンおにいちゃん?」


返答より先に体が動いた、不思議そうに首を傾げる彼女を、僕は思いきり抱き締めた。


「ど、どうしたの?」


小さくて温かいその身体、長くて美しいその黒髪。


「ずっと、君を待ってたんだ…。」


「おにいちゃん…。」


あの夜から一週間しか経っていないというのに、少女の感触はとても懐かしかった。


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彼女の話だと、僕と別れて帰宅した朝、リナリーは母親にこっぴどく詰問されたらしい。


そして学校以外の外出を禁じられたせいで、今日までのあいだ、彼女はここに来れなかったのだ。


案の定の結果、というところか…。


ひとつだけ心もとなく思うことがあった。


何しろ二人のことを、あんな形で知られてしまった。


僕が心配だったのは、そう、あの母親の彼女に対する暴力。


「何か…された…?」


「ううん、ほっぺをはたかれただけ。」


そうやって苦笑うリナリーの言葉に嘘は感じない、ワンピースから覗く手足を見ても怪我をしている様子はない。


ほんの少しの安堵とともに、またひとつ、心痛の種が増える。


あと何回、こんな不安に襲われるんだろう…


僕と会う度、彼女は…


…情けない。


何てちっぽけで、何て無力なんだ、自分の不甲斐なさに腹が立つ。


どうすることもできない、彼女に何もしてあげられない。


僕は大切な人さえ守ることができない。


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夕暮れの太陽が西に沈んでいく。


古ぼけたベッドに座った僕たちは、手を繋ぎ、茜色の夕日影を眺めていた。


僕の手を握る彼女が、小さな声で訊く。


「ねえ、わたしのこと…好き?」


「それはね、僕の花嫁だもの、決まってるじゃないか。」


彼女はぶうと唇を尖らせる。


「あ〜、ずるいっ!


 もっと、ちゃんと答えてよ〜。」


「ははっ、ごめんごめん。


 リナリー、愛してるよ…。」


この夕日が地平線に沈む頃、僕らはまた離ればなれになる。


いつ来るか分からないその次を、ひたすら待つことになる。


『このままリナリーを連れ去ってしまえたら』


彼女の生活環境を考えると、それは実現不可能で、どうしたって叶わない。


そんなもしものことを切望しても、何も…。


高く見上げる夕空は、まるで焦げついたこの心、…燃えるように赤い茜色だった。


†††


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その晩、僕は夢を見た。


単に夢といっても、眠っているときに見る夢じゃない。


胸に巡らせる夢、儚いものを叶えたくて願う夢、未知への空想。


一日の勤務を終えて、僕は仕事から帰り、『ただいま』と玄関の扉を開ける。


くたくたに疲れた僕を迎えてくれるのは、僕に良く似た男の子、君に良く似た女の子、そして笑顔で『おかえり』と微笑んでくれる。


君は台所でせわしく夕食を作っているけれど、帰宅した僕に気づくと、やっぱり、『おかえり』と言って、笑顔で迎えてくれる。


これまでに感じたことのない幸福、僕は安らぎのひとときを見た。


固く結ばれた『絆』、『家族』という温かさを…―――