夢一夜
だれかに思い焦がれること、そう、恋心は少し魔法に似ている。
一瞬にして魅せられてしまう不思議な力、人を惑わす、魔法みたいな力に僕は惹きつけられた。
空に浮かぶ淡い光、満月(フルムーン)にも人間の心を狂わせる魔力があると思う。
例えば月下で微笑む君から瞳を逸らせない僕のように。
確か、ルナパワーとか、そういう言い方だったか。
僕は天文学に詳しくない、ましてや占星学を業としている占い師でもない。
月そのものに関する専門知識なんて全くない、そんな自分が何故そう思ってしまうのか、僕自身にすらさらさら分からない。
…これは月の光のもとで視ている幻なのだろうか?
いいや、違う。
君はここにいる、僕の隣で今、優しく微笑んでくれている。
その笑顔を眩しい日々とともに見ていたい。
燦々と照る日差しのなかで、毎日、美しい彼女を見ていたい。
けれどそれは、どんなに願っても叶わないことだ。
だって君は、自らの抗えない運命を見据えている、孤独な女性(ひと)だから…―――
†††
『ごめんなさい、アレンさん、私と貴方は合わないわ。』
栗色のボブヘアを風に揺らして、彼女はそう言った。
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「…はぁ。」
重い溜息が何度も漏れるほど憂鬱で、最低最悪の気分だ。
「…あーあ。」
彼女の下す結論は分かっていた、僕に見込みがないってことくらい、始めから分かりきっていた。
きちんと就職ができず、コンビニのバイトなんかでぶらぶらしている男(やつ)なんて、だれも付き合いたくないだろう。
高校時代の同級生だった彼女は、都内の大学で愉しいキャンパスライフを謳歌している。
つまりこういうこと、所詮、僕には高嶺の花だった。
決定的な言葉をはっきり告げられた。
僕は振られたんだよな。
一月下旬に吹く夜風は冷たく、僕の寂しい気持ちをいっそう凍えさせた。
彼女に振られたのはついさっき、二時間ほど前の、この湖畔だった。
僕は彼女が帰ってしまった後もその場にいた。
気持ちを整理するため、きれいさっぱり彼女を忘れてしまうため、ずっとそこのベンチに座っていた。
円月を映した蒼色の水面(みなも)が、きらきらと輝いて見える。
こんなに素敵な場所なのに、嫌な思い出ができてしまった。
…恋なんてまたすればいい。
この寒空に瞬く星が幾千億もあるように、新しい出逢いはきっと訪れる。
体裁の悪い自分を受け入れてくれる人、僕を『好きだ』と言ってくれる人もきっと現れる。
寂然とした夜空を見上げて僕は思った。
「もうこんなとこ!
二度と来るもん…か…」
ベンチに座る体を反り返し、横を向いたとき、僕の強がり混じりの泣き言はそこでぴったり止まった。
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「今夜は美しい月だね。」
僕は目の前にいる玉を転がすような声音の主、美しい女性の姿に思わず息を呑む。
言葉を失うほど艶麗なその女性(ひと)は、色白の肌をしていて、大きな濃紫の目が印象的で、唇はほんのり赤い。
この世のものとは思えない、あまりの美しさに幻惑される…。
人形のようなひと、それが僕の彼女に対する第一印象だった。
「辛そうな顔をしていたの、君。」
もう一度聞こえた美声に、僕ははっと立ち上がる。
「あ…」
「だからつい話しかけちゃった、ごめんね。」
ぱっとチャーミングな笑顔になり、片方の目をつぶる彼女。
ほんのちょっと前の…、失恋で落ち込んでいたのを見られてしまったのか。
そう思うと何としてか、たちどころにどうしようもない気持ちになった。
「…僕、格好悪いんですよ…。」
「…どうして?」
「…今日ここで、片思いの彼女にこっぴどく振られちゃって…」
話そうとした理由は自分でもさっぱり分からない、わざわざ人に取り立てて言うほどの内容でもないのに、僕はしみったれた言葉をぽろっと溢していた。
「…そうだったの、だから、あんな辛そうな…。」
「僕、男のくせに情けないですね、初対面のひとに話すことじゃなかった、すみません…。」
「『ごめんね』『すみません』、私たち、出会っていきなりお互いに謝ってばかりね。」
彼女は柔らかな笑みを見せてから、ベンチに座って、僕においでおいでの手招きをする。
僕はいたたまれなくて、どうにも気まずい気持ちになったが、彼女の横に腰をかけた。
「私は君、素敵なひとだと思うけどな。」
「あはは、慰めてくれるんですか…」
滑稽におどける僕の前に、すっと彼女の整った顔が近づく。
僕ら二人の唇は僅か数センチの距離にあった。
どちらか少しでも動けば、キスしてしまうくらい、すれすれの至近距離だ。
「君の瞳、澄んでいて宝石みたい。」
「なん、ですかそれ…?」
「ふざけている訳じゃないの、本当だよ…」
彼女の突然の言葉と挙動に、僕は一瞬にして心を奪われる、心臓がばくばくと速く鼓動を打っている。
「ほら、やっぱり、とても綺麗。」
そう言ってから彼女は元の姿勢に戻る、だけど僕の心臓は高鳴ったまま、胸がどきどきと早鐘を打っていた。
「ねぇ、君、名前は…?」
「僕は…アレン…アレン・ウォーカーです…」
「私はリナリー、この湖畔の近くに住んでいるの。」
空に浮かぶ淡い光、月の光のもと柔らかく微笑む君、この瞬間、僕はその魔法みたいな不思議な力に魅せられ、引き寄せられて、君から瞳を逸らせなくなったんだ―――
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