夢二夜
『ロミオとジュリエット』という恋愛戯曲がある。
オーサーはかの名高い『シェイクスピア』で、その作品は遥か昔のものだが、小説、音楽、絵画、映画などの媒体に形を変えて、数百年経った現代でも好評を博し、多くのひとに親しまれている物語だ。
モンタギューの息子であるロミオは、ロザラインへの片恋に思い煩っていた、しかし友人と気まぐれに出掛けたパーティで、キャピュレットの美しい一人娘、ジュリエットと出会い、ロミオは彼女に激しい一目惚れをする。
ロザラインのことなど、すっかり忘れてしまうほどに。
ロミオという名の男を移り気だと思うひとも、なかにはいるかもしれない、でも彼の気持ちが僕にはよく分かる。
モンタギューとキャピュレット、両家の争いに巻き込まれたのちに彼がジュリエットを想ってとった行動も…
僕が今まさに体現している気持ちは、きっと、どこか彼に通じていると思うから。
†††
あの出会いから彼女、リナリーと僕は奇縁なことに、毎夜のようにこの湖畔で会っていた。
特に約束したわけでもなく、どちらからともなく、そんな何となくという関わり。
ロザラインを忘れてジュリエットに夢中になってしまったロミオ。
彼のように、リナリーに恋い焦がれてしまった僕には、こうして彼女に会えるだけで心が踊った。
聞くところによると、リナリーは僕と同い年らしい。
彼女は僕がご機嫌に愉しげな話をしたりジョークを言うとくすくす笑う。
僕がへこんで落ち込んでいたりするときは、じっくり話を聞いてくれる。
こんな僕のくだらない話を、いつもいっぱい聞いてくれている。
「君の話は聞いていて飽きないね。」
そう言って月明かりのもと静かに微笑むリナリーを、僕は見つめる。
なんというか、彼女には不思議なオーラのようなものを感じる…
初対面だったあの日も、出会ってひと月経った今も。
都合よく解釈した単純な思い込みなのだろうけど、だれよりも近い存在に感じられて…
でもそれと対極に、彼女と僕には程遠い距離がある…
魔法でもかけられたように、僕だけが一方的に彼女に惹きつけられている。
聞き上手な彼女も、ごくたまに自分のことを話してくれることがある。
それは身近な趣味の話だった。
僕たちの趣味は少し似ていて、普段の生活で欠かせないのは、ドラマや映画を観ること。
彼女はどのような映像作品を観るのかというと、医学医療や救急救命、そうした人体の構造と生命の重さを感受することができる物語。
僕が観ている作品は、人知を超えた非科学現象の洋ドラや、スピリチュアルな超常ものがもっぱら多い。
その内容こそ真逆だが、映像作品を好んで観ていることが共通点だったから、そこからどんな作品を今週観たのか、といったように話に花を咲かせることができた。
それから音楽鑑賞が趣味であるところも似ていた。
僕はJ-POPや流行曲よりヒーリングミュージックを聴くことが大体で、ままクラシック音楽を聴いたりもする。
フレデリック・ショパンがわけて好みな僕だけど、そこは彼女も同感してくれて、どのピアノ独奏曲がいいとか、そうしたことでもどんどん会話が膨らんでいった。
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僕らの間には、ある『ルール』のようなものが存在していた。
そのルールは、彼女のことが好きな僕には芳しくないことでもある…。
あれは彼女と出会って、ひと月が過ぎようとしていた、先週の出来事。
いつもと変わりなく、湖畔で彼女とベンチに並んで座っていたときだった。
君と邂逅した夜をなぞろうとするように、その整った顔が僕に近づいて…
ふくよかな唇が僕の唇と触れそうで、理性を失うほどの恋心につい感情を抑えきれなくなって…
僕は思い上がって、リナリーに短いキスをしてしまった…
一時停止された時間。
彼女はひとしきり緘黙してから、やがて物寂しい表情になって僕に言った。
「…私ね、ひとのこと、好きになれないんだ。
だれのことも…。」
そう言った彼女は、常に自身の『大切なお守り』だと肌身離さず持っている、細長い宝石をきゅっと握りしめている。
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自分の今ある状態、彼女が伝えたいことは、その言葉だけですぐ分かった。
僕がリナリーに惹かれていて彼女のことを好きでも、向こうにその気はない。
「…だから…
私のこと、君も好きにならないで…。」
彼女は僕を好きじゃない、この気持ちは僕の一方通行。
…なのに僕はそれを仕方がない、当たりまえのことだと受け止めていた。
「…リナリーがそう言うのなら。」
どんな君だって受け止めてしまえるくらい、好きになってしまったのだから、しょうがないじゃないか。
「…これからもアレン君とは、色んなこと、話したい。」
「…うん、分かりました。」
「…私たちは、『ただの知り合い』で…
…たまたまお互いに、興味を持っただけ…
…『興味本位』で一緒にいる…そういうことに、して…。」
『ただの知り合い』『興味本位』、それらの言葉に、もちろん傷つかないということではなかった。
けど、これが叶わない想いだとしても、彼女の近くにいられるのならいい、それでも構わない。
この先リナリーに会えなくなってしまう方が、僕には何十倍も怖いと思ったから。
「…そうですね、リナリーが望む『関係』でいましょう。」
僕が似非紳士っぽく苦笑いを浮かべると、彼女もつられるように硬い表情を解いて、ゆっくり微笑み返してくれた。
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この日から僕とリナリーは程よい距離感を保っていた、ひっそり彼女を想うだけで幸せだった。
それなのに…
二人で決めた『ルール』が、こんなに辛く哀しい『茨の道』へと変わるなんて、このときの僕は予想だにしていなかった―――
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