夢四夜
あったかいふかふかしたものに、身体が包まれているようだった。
白雲の上に横たう僕、夢だか現実だか、境のはっきりしない心地のなか、ソプラノのなよやかな声が聞こえてくる。
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…レン君
…アレン君…。」
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ぼやけた意識、ピントのずれている視界に映ってきたのは、天井から吊り下がる豪華なシャンデリアだ。
ここは、リナリーの部屋のベッド…?
「…良かった、目が覚めたんだ…。」
目を開いた先に、ほっとしている様子のリナリーがいた。
「…いきなり、ばったり倒れてしまったから、私、びっくりして…。」
あのとき、この部屋で…
体に怠い倦怠感がして、それから急激な眠気に襲われて…
僕は眠ってしまったのか?
そのことには思い当たる節があった。
今月に入ってからコンビニバイトのベテラン同士が揉めて、数人辞めてしまった。
そのせいでシフトがかつかつだった、合間を縫って店長やバイト仲間の相談にも乗ったりしていたのを僕は思い出した。
知らないうちに疲れが溜まっていたのかも。
「…ごめんなさい。」
肩を落として、しゅんとしている彼女に僕は言った。
「やだなぁ、リナリーが謝ることじゃないです。」
彼女に向けて僕がにっと表情を緩めたとき、やにわにその場の空気はがらりと変わった。
「………」
「………」
無口になった僕らに流れる、際どい親密な空気。
ときどき見せる彼女のあの仕草、整った端麗な顔がまた、ゆっくりと僕に近づく。
ただ今日は 、これまでの『それ』と、何かが少し違った。
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熱を帯びた彼女の瞳は、シャンデリアが淡く彩る光のせいか、濃紫の色がうっすら赤く色めいている。
そのミステリアスな深い瞳を見つめていると、心を奪われて、彼女に陶然とのめり込んでしまいそうだった。
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「…ちょ、ちょっと待って、リナリー…
…僕の理性、持たなくなりそうです…。」
慌てて発した僕の言葉に、リナリーがはっと驚いて目を大きく張る。
下心がないのかと問われれば、それはいちおう、僕だって男なのだからあるにはある。
でも相手は憧憬の対象、いや、それ以上に、ひたすら恋い慕っているリナリーだ。
だからなおさら僕は、行きずりの関係、不純な動機でそうしたことをしたくなかった。
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「…私、どうかしてるよね。
…外で夜風に当たって、頭、冷やしてくる。」
彼女の面持はついさっきとは一変して、陰りを含んだ沈鬱なものになっていた。
ぱたんという音とともにリナリーが部屋を立ち去る。
『恋は魔法のようだ』とよく言われる所以(わけ)を、十分ではないけど分かった気がした。
彼女への強い想いを再び認識したことで、僕はそれまで人をきちんと好きになれていなかったのだと、ようやく気づいた。
だけどどうして彼女は、あんなにも大胆で積極的だったりするのだろう。
それは僕らが決めた『ルール』とは逸れていて、彼女自身もなんだか辛そうな…、どうにも矛盾だらけで、皆目見当がつかなかった。
そして僕が見た、あの冷たく凍る眼差しは…―――
†††
リナリーはあの日を境に、僕への接し方、その態度が、あからさまに変わった。
毎夜、寒空のなか湖畔で待っていてくれて、僕を迎えに来てくれた彼女。
それさえめっきり減ってしまった、ゆえに僕の方から彼女の家を訪ねる。
気に障るような、嫌な思いをさせてしまったのだろうか。
あれこれ思い返しても、どこがいけなかったのか考えが及ばない。
リナリーはよそよそしくはあるものの、まだ僕に会ってくれている。
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レジカウンターの裏で、しゃがみ込んでスマホを弄っている赤毛の青年は、バイト仲間のラビだ。
ラビはいい、生家が有名な一流企業の経営者で、遅かれ早かれ、彼は祖父の後継ぎとして事業を引き継ぎすることが確約されている。
いわばこのバイトは彼にとって、ただの人生経験でしかない。
「またスマホですか…
ちゃんとバイトしてくださいよ。」
「ラインでサチコの相談、真剣に聞いてるだけさ〜。」
「あー、ラビの彼女さんでしたっけ。
なら、もっとダメです、今は休憩時間じゃないですよ。」
高身長でルックスも良く将来性がある彼は、今風に喩えて言えば『セレブでリア充の超絶イケメン』、まあ、そんなところだ。
「ってか、お前も彼女いるんだろ、リーバー店長、そう言ってたさ。」
「…彼女じゃありません。
…僕は、そのひとのこと、好きですけど…。」
リア充パリピの彼に、僕の悩みなんて一生分かるまい。
僕が小さな溜め息をつくと、スマホの手を止めたラビが僕に言う。
「先人の言葉ってのは、凄いよなぁ〜。
『押してだめなら引いてみろ、引いてだめならなお押してみろ』って。」
「なんか最後の方、違いますよね?」
「オレなりの解釈ってやつ、女心は難しいんさ。
あまのじゃくつーか、どうでもいいことばっか話したがるくせに、大事なことになると相談しないし頼らない。
てな感じだから、押して引いてだめなら、思いっきし押しまくって、その殻を壊してくんだよ。
そしたら素直な本音が出てくる、そーゆーもんさ。
『恋には身をやつせ』ってことわざがあるだろ〜?
踏み切らないと何も始まらない、始まらなければ、それからは終わっていくだけ。
行動に移さないのは、何もしないということ、つまりはいつまで経っても変わらないし、変われない…。」
ラビはときに核心を突いてくる、でも却ってそれは背中を押してくれる言葉だったりする。
「…あの、ラビ。」
「おう、なんさ?」
「真面目な顔しながら、途中で漫画読むの止めてくれます?」
†††
ひとり暮らしのアパート、何もない一室の片隅、そこに僕はつくねんと座っている。
殺風景な部屋が、厭に空しく感じられた。
自分の気持ちと向き合っても、答えを出せるわけがなかった。
不確かな関係の僕らは、いつ会えなくなっても、おかしくない。
彼女のラインは疎か、スマホの番号、メールアドレスだって、僕は知らない。
いつだっただろうか、彼女と会っているとき、僕は胸のうちを無意識に口走ってしまいそうになった。
「…僕は、君のことが…」
リナリーは僕の唇に人差し指を押し当てて、寂しげな表情で首を振った。
それがどういう意味なのか、鈍感な僕でもすぐに分かった。
『その先を言わないで…言葉にしないで…』ということなのだと。
僕がリナリーをどんなに想っても、彼女はそれを告げられたくない。
「好きだとかは、言わない、言えない、言わないで…
これは、ただの興味本位…でしょう…?」
そう言われたときもあった。
やり切れない思いだった、けどその言葉を紡ぐ彼女の面持ちは、僕なんかより、よっぽど辛そうで…
それ以上の詮索をしないで、濃紫の瞳がそう訴えていた。
想いを伝えることはできない、この恋は叶わない僕の夢物語。
たとえ無駄なあがきだとしても、リナリーの傍にいたい。
そうした想いのまま一縷の望みに縋る、僕は彼女のことを諦めないでいる。
曖昧な関係だとしても、彼女が大切なのは変わらなかったから、せめてどんな形でも…
僕は無理矢理、『興味本位』だと自分に言い聞かせて…
この関係を終わらせないように、ひっとりと彼女を想い続けた―――
†††
朝と夜を数回迎えた、翌週のことだ。
その日の僕はバイト中だというのに、どうにも気が散って作業が手につかないでいた。
一秒、一分、一時間と、時が経過するたびに考えるのは、ますますリナリーのことばかりだ。
彼女は日を追うごとに、元気をなくして、弱っていくようだった。
顔色だって生気を失ったように青白い。
万が一だけど、もしすると彼女は…
何かの悪い前兆…不吉なこと…
「すみません、バイト上がります…!
それから少しの間、休ませてください…!」
得体の知れない怖さにとうとう耐えられなくなった僕は、バックヤードにいるリーバーさんに向けて、切迫した大声を上げた。
「…おいっ、てめっ、バイト舐めてんじゃねえぞ!」
急いでロッカールームに行こうとする僕の後ろから、リーバーさんの大喝一声が響き渡る。
その声にぴたっと歩みを止めた僕は、リーバーさんの方へ向き直り、無言のまま、深々と腰を折ってお辞儀した。
「…あー、もうっ、たくっ、好きにしろっ!
…どうせ、あれ(彼女)がなんかあったとか、なんだろ…。」
リーバーさんが頭をがしがし掻いて、呆れた顔をする。
何のかんのと言われても、僕の身勝手に付き合ってくれるリーバーさんは、結局のところ、気立てのいいひとなのだと思った。
「…ありがとう…ごさいます。」
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僕はリーバーさんの優しさにそっと感謝して、ロッカールームで私服に着替えたあと、湖畔の樹林を抜けた先にあるリナリーの家を目指し歩道を進んだ。
これは朧げなものじゃない確信めいた予感、なんとなく分かる、何かが起こる、それを知りたくない、でも知らなければいけない。
そうした思いが幾重にも重積していくようだった、頭から離れない彼女の弱々しい顔、リナリーのことが、どうしても気になって仕方なかった―――
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