夢五夜
人間は人生のなかで最愛といえるひとに巡り逢えたとき、大切なものを必死に守ろうとする、『だれかを愛する』というのは、果敢に身を尽くす命懸けのことなのだと僕は思う。
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うすら寒い凍空が掻き曇る、今にも一雨きそうだ。
荒れそうな空模様は、憂いに沈む僕の気持ちをなお心もとなくさせる。
これが当て推量の思い過ごしなら、それでいい、そうであって欲しい。
分厚い雲が広がる暗い空に、数度の稲光がちかちか走った、今朝見た天気予報は外れのようだ。
彼女の家の前庭に着いた頃、さてこそ天候はどしゃ降りの雷雨になった。
玄関横にある真鍮でできた壁掛けのドアベルを鳴らす、が、一定の時間待っても反応はない。
何度か鳴らしてみたけれど、同じく、何の反応もない。
窓から漏れる明かりが見えたので、家にいないということはなさそうだ。
僕は彼女が扉を開けてくれるのを、気が気でない思いで待つ。
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数分ほどして、どうしたものかとやきもきしているとき、荘重な造りの玄関扉がゆっくりと半開きに開かれた。
その隙間から、妙に生白い顔をしたリナリーが僕を覗いている。
やっぱり、いつもの調子ではなかった、かなり具合が悪そうだ…。
「あの、いきなりすみません…。
このところずっと気になっていたんですけど、なんだか体調が悪いのかなって、思って…。」
いざとなると拙い物言いになってしまう、そんな僕のぎこちない言葉に続いて彼女が言う。
「このまま帰った方がいい。
君の…ためにも…。」
気鬱な空気のなかひとしきり沈黙が続いた、彼女は眉も動かさず一直線に僕を見つめる。
それはいつかのような冷たく凍る眼差しだった。
そう、間違いない、僕はこの眼差しに見覚えがある、あのときは視界がうっすら霞んでいたけれど、今なら際やかにそれを見ることができる。
赤々とした光を湛える瞳、底のない深淵に取り込まれそうな怖い瞳。
「もう会いたくないの、君に。」
彼女の口から、ゆくりなく発せられた言葉に僕の時が止まった。
『会いたくない』、そう言われてしまったら僕は…
それは僕ら二人の関係、それそのものが切れて終わってしまうこと…
…何か…言わなくちゃ…
「…あ…」
そう思えば思うほど、考えはぐちゃぐちゃになり、声を失くしたように言葉が出てこない。
僕の意識は、砕けてばらばらになりそうだった。
口を噤んだままのリナリーが、おもむろに扉を閉めようとして…
…本当に、これでいいのか?
…こんな風に、彼女と分かり合えず離ればなれになって、後悔はしないのか?
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「待ってください!」
『押してだめなら引いてみろ、引いてだめならなお押してみろ』
幾日前、いつかの、ラビと話していた会話がさっと蘇る。
無意識下の行動だった、僕は玄関のドアハンドルを掴み、しゃにむに扉を開放する。
『諦めたくない』、僕を突き動かすのは、ただその一心だけ。
ばんという音とともに後ろ姿のリナリーがこちらを振り向く。
彼女の青白い顔は生色がなく、血の気のない蝋人形のようだった。
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「いっぱい傷つけたのに…どうして…君は…そんなに優しいのかな…」
ほんの少し、憂いをひそめた笑みを見せる彼女、その身体がふらりと床にくずおれる。
「リナリー!」
僕は急いで彼女のもとに駆け寄った。
呼吸が早いリナリーの背を支え、その額に手を当てる。
…大変だ、凄い熱じゃないか…!
抱き上げたリナリーの身体は異常な発熱を起こしていた、そのまますみやかにリビングまで連れて行き、彼女を一旦ソファーに寝かせる。
そしてすぐさまリビングにあったブランケットで、彼女の身体を覆う。
弱々しい声のリナリーが僕に言う。
「…ごめんなさい…私…」
「そんなこと、気にしている場合じゃないです…
早く、病院に行かなくちゃ…」
スマホを使って緊急で診てくれる近辺の病院を検索していると、リナリーがそろりと僕の手元を握り制止する。
「…病院はだめ…行けないの…」
「どうして…」
「…ごめんなさ…どうしても…」
高熱に苦しむ、荒い息遣いの彼女にひどく懇願されて、僕自身もどうしてよいか困惑していた。
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「…分かりました。
でももし、これ以上悪化したら、僕はリナリーを無理にでも病院に連れて行きます…。」
「………」
彼女は無言だった。
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雨が染み込んでしまったジャケットをカクトワールチェアに掛けて、僕はリナリーを見る。
彼女の額に水で濡らした冷たいタオルを当てて、ある程度経ったら、それを取り替える、そうしたことを繰り返している。
身震いしている彼女は、まだ寒そうだった。
さしあたりもう一枚くらい身体に掛けるものが必要だと思った僕は、ひとまず二階のリナリーの部屋に向かい、肌掛けを取りに行った。
彼女の部屋に入るなり、アンティークベッドの上にぽつんと置かれたものが目に留まる。
赤い、表紙の本…?
筆記帳のようなそれに引き付けられるようにして、僕はベッドの方へと歩み出す。
そうして手にした赤い表紙の本、知ってはいけないと直感的に思っていたもの、朧げなものじゃない確信めいた予感。
この本には、それらの重大な秘密が書かれているかも知れない…。
たしかな確証などあったわけではない、ひとのものを勝手に盗み見ることだってさすがに気が引けた、でも僕は今、この瞬間に、隠された不明瞭な部分、真実を突き止めなければいけない。
理屈を超えた何かに促され、その赤い本の表紙を捲った。
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本の書き出しは、ちょうど僕らがあの湖畔で出会った日、日記のような文章が書き綴られていた。
リナリーは初めて会ったときから、僕に好意を持ってくれていたのだという。
いささか、くすぐったい気持ちになりながらも、彼女の文字を読み進めていく。
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だが、ある『単語』を目にして、僕は正体不明の何者かに取り憑かれたように、黙々と頁を捲っていた。
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『吸血鬼、魔物ノ伴侶ナルモノ
我ガ嬰児 、生授カリシ血杯ヲ受ケ入レシモノ
契約ノ序、生ノ永逝ヲ示ス』
吸血鬼…?…伴侶?
血杯…?契約…?
なんなんだ、これは…
頭が真っ白になる、思考が追いつかない…
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…リナリーが…吸血鬼…―――
僕は思わず口許に手を当てた。
「…嘘、だろ…?」
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