残月の記録
 
 

―――


あの湖畔で、私は素敵なひとに出会った。


銀灰色の髪にどこまでも澄んでいる瞳、笑うと可愛らしい、うぶで純粋なひと。


『一目惚れ』、その言葉は知っていたけれど、こういう感じなのかな。


そうだったらいいな…。


―――


彼の名前は『アレン君』、それから毎日、夜の湖畔で会っている。


彼の趣味は私とそっくりで、ドラマや映画を観ること、そして音楽鑑賞。


私を笑わせてくれるために、いつも色々な話をしてくれる。


―――


彼と私は、いつの間にか親しい関係になっていた。


私の家で、おしゃべりをしたり、音楽を聴いたり、ティータイムを過ごしたり。


その毎日は、とても楽しくて、私は彼と会える夜が待ち遠しかった。


『恋』って、こんな気持ちのことをいうのかな。


―――


…そうだといいのに。


…なんて。


…私は、ごく普通の平凡な夢を見ていた。


・
・
・
彼を理解したいと思った、君の優しさに触れて、もっと君を知りたいと思った。


強くそう思うたびに、まともでない二重人格のような私が顔を出す。


愚かで醜悪な自分が、彼の傍にいられるわけないのに。


…アレン君を好きになってしまった。


・
・
・
私たちには二人で決めた『ルール』があった。


『彼と私は、ただの知り合い…


 たまたまお互いに、興味を持っただけ…


 興味本位で一緒にいる…


 好きだとかは、言わない、言えない…』


この『ルール』は、自分から切り出したことだった、彼を傷つけてしまわないように。


人間でない異様な魔物、『吸血鬼』である私から、アレン君を守るために…。


・
・
・
もとより私は、長い年月を永らえるなかで、幼いとき、人間という生物に嫌悪感を持っていた。


両親は人間に殺された、お父さまとお母さまは『吸血鬼を狩るもの』たちの手によって、胸に『聖なる杭』を打ち付けられた。


私たち吸血鬼は、太陽の光や十字架では死なない、滅ぼすことができない。


『吸血鬼狩り』を執行するものたちは、『退治』と称して、同族の首を切る、心臓に『聖杭』を打つなどの手段で、私たちを迫害しようとした。


嫌悪はやがて憎悪になり、私は人間に報復することさえ考え始めていた。


・
・
・
けれど、心が成長する過程で、私はふと疑問を持ち、あることに気づいた。


両親を亡くし、親族がいなくなったとき、私はひとり孤独になった。


人目を忍ぶように生きても、この世界にいる以上、人間との接触は避けては通れない道。


ちょうどその頃、両親を吸血鬼に殺された小さな子どもの女の子に会った。


境遇は同じだけれど、立場は真逆だった、人間の女の子。


ひとつ分かったことがある、彼女ら人間にとって、私たち吸血鬼は脅威でしかない。


吸血鬼は人間の生き血を啜る、血を吸われた人間は、その場で処分されるか、あるいは吸血鬼にされる。


私たち同族に殺され、吸血鬼にされた人たちがいる。


その人間の女の子は、私と同じように苦しんで、同族に復讐しようと考えていた。


人間と吸血鬼、果たしてどちらが『悪』なのか…


人は自分や家族たちの身を守るために、吸血鬼狩りを行っていた。


彼女ら人間は限りある命を精一杯生きている、私たちとは違って短命で、脆くて儚い。


だから、現在(いま)を懸命に生きようとしている。


そうしたことを理解して、私は人間が憎いと思えなくなった。


その女の子には、私たちが持ち合わせる能力、『催眠暗示』をかけて、吸血鬼に関する一切の記憶を消した、復讐心に染まった彼女が不幸にならないように。


そして同時に自分が存在している意味が、…分からなくなってしまった。


それなら、だれの血も吸いたくない、だれも殺したくない、だれかを吸血鬼にしたくない…


私は赤ワインなどを吸血行為の代わりに、あとは自ら手を噛んで自分の血を吸うことで飢えを凌いだ。


人から離れてひっそり暮らす、それが一番だと思った。


・
・
・
『吸血鬼、魔物ノ伴侶ナルモノ


我ガ嬰児 、生授カリシ血杯ヲ受ケ入レシモノ


契約ノ序、生ノ永逝ヲ示ス


伴侶トナリシ、不朽死屍ノ朋ヘ告グ


我等同族、痛苦共々ニ


聖杭、即チ絶対ナル終焉、我等魔物ヲ常シク救済ヘ導クモノ』


これはお父さまが残してくれたものだ。


『血杯』と呼ばれるもの。


吸血鬼の赤子、そう、生まれたばかりの私の血液を採って、酸化しないよう、儀式によって特殊に施されたもの。


吸血鬼同士の婚約は可能だけれど、同族の生き残りは著しく少ない。


そのため、吸血鬼は生涯をともにする相手(人間)を決めたとき、血杯を飲ませる、といった方法を取る場合が多い。


『生涯の伴侶を見初める際、吸血鬼同士でない場合、二通りの可能性をここに示す。


 一つ、伴侶なるものの血を大量に飲み、人間を一度死なせる、血を啜られた人間は、吸血鬼として再び蘇る。


 二つ、伴侶なるものの人間に、自身の赤子のときより採取された血液、すなわち血杯を飲ませる、人間は一度死ぬが、契約を交わした正統な吸血鬼として再び蘇る。』


これは私に不必要なもの、使うことなんて一生ないと思っていた。


化け物の私に、恋や愛なんてきっと無縁なものなのだろう、そんな思いをずっと重ねてきたから。


あのとき、あの湖畔で、アレン君、彼に逢うまでは…。


・
・
・
穢れない心、まっすぐ純粋な瞳に、出会ったときから私は惹かれていた。


生と死の狭間に現存する屍蝋のような私に、彼はたくさんの笑顔と安らぎをくれた。


アレン君と過ごしていくなかで、色褪せた日常が、美しく色彩豊かなものに変わっていった。


ただ一緒にいられる、それだけでいい…


私たちの『ルール』を作って、彼との距離を空けて…


そう思っていたのに…


その想いは日ごと彼に会うたび、話をするたびに、大きく膨らんで…


近づいてはだめだと、分かっていたのに…


・
・
・
吸血鬼は自分が見初めた相手を前にしたとき、ある発作が突発的に起こる、発情に似たそれだった。


そうしたときは自身の意志に反して身体が動いてしまう、理性では抑えられなくなる。


さらに性的興奮を得ると、その人間の血液を欲してしまう。


欲求を抑え続けた場合、血液が得られない場合、高熱を繰り返し倒れるといった現象を、しばしば引き起こす。


初めて逢ったときから、このことに気づいていたのに、それでも一緒にいたかったのは、私のわがまま…。


・
・
・
私は許されざる罪を犯してしまった、何も知らない彼に私は酷いことをした。


無意識のうちに催眠暗示を使ってしまった、アレン君を眠らせたあの日のことだ。


・
・
・
…何てことをしてしまったのだろう。


私は目の前で倒れている彼の姿を見て、恐怖に慄然とした。


まさかもうひとりの自分が…こんなことを…?


・
・
・

私は、彼を吸血鬼に…


間接的に、そう、一度殺そうとしてしまった。


本来であれば、彼の幸せを、だれよりも一番に願うべきなのに…


『いいかいリナリー、いつか大切なものができたとき、もし迷ってしまったら、それに近づいてはいけないよ』


かつて、亡きお父さまが言っていた言葉、その意味を今さら身に染みて知るなんて…


自らの行いが、良心の呵責、罪の意識となって…


自身に跳ね返ってきた、胸を抉るような心の痛み…


それからは押し寄せる後悔と後ろめたい罪悪感で、毎日が辛く苦しかった。


私たち一族は、人と関わるべきではない。


彼の傍にいてはいけない、もうこれ以上、一緒にいられない…


いっそのこと、このまま塵になって消えてしまいたかった…


・
・
・
もし普通に恋ができたのなら、私が彼と同じ人間だったら、それはどんなに素晴らしいだろう。


今にして思えば、やはり無価値で死にぞこないの私は、彼に出会う前のあのとき…。


お父さまが残してくれたもうひとつの形見、この『聖杭』で自分の心臓を打ち抜いていれば、よっぽど良かった…。


貴方を好きになってしまって、貴方を愛してしまって…


…大好きなアレン君に…さようならを…本当に…本当に…ごめんなさい…―――