第六夜

 

細かな雪がまばらに降る眺めのなか 、彼はそこに笑顔で佇んでいた。


もうじき日付も変わってしまう夜半、アレンくんが来てくれるなんて想像もつかないことだった。


目の前にあるのは、いつものように優しく慎ましい笑顔。


あれ、どうしてなのかしら…


彼の笑顔はいつもと同じなのに、理由もなくそれを思わせる。


不確かで朧げな、ある予感をそれとなく感じさせる。


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いきなり彼を前にして困惑した私は、ひとまず大きく息をついて、乱れそうな呼吸を整えた。


それから今日の今まで気になっていたことを尋ねてみようと思った。


「…あのときの返事、聞かせてくれるんだよね?」


アレンくんはものを言わず、口を閉ざしたまま首肯した。


彼の面立ちが笑顔から一変して、心を決めたような顔つきになる。  


「初めにこれだけは言わせてください。


 僕もリナリーと同じ気持ち、いや、もしかしたらそれ以上かもしれない。


 君のことが『好き』、それが僕の揺るぎない答えです。」


それは良くあるラブシネマのワンシーンみたいだった。


彼がくれた答え、その言葉は、女の子ならだれもが憧れる甘い夢のような台詞。


アレンくんが自分のことをそんな風に想っていてくれたのには驚いた。


でもそれなら、どうしてすぐに答えをくれなかったのだろう。


何かが心に引っかかる、彼はあのとき、どうして泣いていたのだろう。


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「リナリー、君に伝えなくちゃいけないことがあります。」


「伝えなくちゃいけないこと?」


「たとえ何があっても、どんなに離れても、僕は君を見守っている。


 僕という人間が消えてしまっても、それは変わらない。」


「離れる…消える…って…どういう意味…?」



何故か分かってしまった、アレンくんの言いたいことが分かってしまったから、それを聞き返す声もおのずと震えてしまう。


どう説明づければ良いの、もしそうだとしたら、自然の摂理を背反していることになる。


だけどそうした矛盾さえ超越して、どうしてか、瞬時に理解してしまった。


「僕はもうこの世の人間じゃない。


 父さんと同じ病気に罹って、ちょうど一ヶ月前、あの市大病院で死んだんです。」



私は強く目を閉じた―――


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明らかな確信…、と断言はできないけれど、それに近い予覚(なにか)ならあった、彼と会う度に心のどこかで感じていた。


そうとは思いたくなかった、考えたくもなかった。


だから私は…


「…やめてよ…そんな…面白くないジョーク…」


アレンくんは笑っていなかった。


ただならぬ決死さを見せる彼の表情は真剣そのもの、固い覚悟を現している。


…これは冗談なんかじゃない。


「…だって…ひと月前って…アレンくんが私に…初めて声をかけてくれた日じゃないっ…!」


それが事実だとしても、受け入れたくなかった、認めたくなかった。


「僕がリナリーと出逢ったのは、あの日が初めてじゃないんです。」


「…え…?」



「まだ日差しが暖かい春の頃から、僕は病室で見渡せる景色、公園のベンチに座る少女の姿をずっと見てきた。


 彼女に話しかけてみたかったけれど、病弱な自分の外出なんて、もちろん許されることじゃなかった。


 だから僕は夜中にこっそり病院を抜け出して、ジンクスをした。


 君の近くに行きたい君と話がしたい、あの樹にそうお祈りした。


 僕が息絶えたとき、その願いは空に、神さまに届いた。


 そうして今の自分がいます、限りある仮初めの命、ですけれどね…。」


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アレンくんと過ごした毎日、それを思い起こせば、彼はそうだった。


たまに儚げな目をして寂しそうに微笑み、どこか遠い彼方を見つめていた。


白い上下の服に白いカーディガン、いつも普段着のような格好で公園に来る。


そんなアレンくんの日常をあれこれ想像してみたりもした。


でも彼が何も言わなかったから、私は何も尋ねなかった。


聞いてはいけないような気がしたからだと思う。


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「日が暮れる時分、この辺りで泣いている女性(ひと)を見かけませんでしたか?


 その人が僕の母親なんです。


 母さんには、最期のお別れを告げてきました。」


「…『最期』…『お別れ』…もう…何を言ってるのか分からないよっ…」


頭のなかはぐちゃぐちゃだ、直面している現実を受け入れるのに精一杯で、感情の方がついていかない。


「…ごめんなさい、君にさよならを告げるつもりじゃなかった。


 僕は父さんのように強くなれなかった。


 君に近づいて、その手に触れて、消えるのが恐くなってしまった。


 あのまま会わず、何も伝えず、密かに逝ってしまおうと思っていた。


 でも君は、この寒い夜のなか、こんなどうしようもない僕なんかのことを待っていてくれたでしょう…?」


冷たい滴りがぽたりと頬を流れ落ちていく。


「…嘘よ…そんなの…」



手を重ね合わせたときも、きつく抱き締められたときも、アレンくんはあんなに温かかった。


貴方の温もりを、ちゃんと体で感じられたはずなのに―――