第七夜


どれくらいときを隔てたのか、間の長い沈黙が続いた。


言葉が何も出てこない。


語られた真実は常識の範疇を超えている。


頭を打たれたような衝撃に気持ちが動揺してしまって、その場に立っているのがやっとだ。


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想いを打ち明けたあの日、彼はきつく私を抱いて、声を殺しながら泣いていた。


その理由(わけ)は…


彼は、アレンくんは、どれほど辛かっただろう。


いずれ消えてしまう仮初めの命、それを知っていながら、分かっていながら、これまで優しく接してくれた。


本当の事実(こと)を告げられず、いつも笑顔でいた彼は、今の私よりきっと何十倍も何百倍も辛かったに違いない。


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「…どうやら、時間がないみたいですね。」


アレンくんはそう言って、物淋しい目色をして顔を上げ、公園の時計に視線を据える。


「…どうして…どうしてよ…」


「この世に留まれるのは一ヶ月だけ、神さまとそう約束したんです。


 僕の命は午前零時、イヴが終わるとき尽きる…。」


「…もう…一緒にいられないの…?」


黙然とした彼がまた、静かに首肯する。



高みから二人を瞰視する時計、その時針は十一時五十五分を差している。


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次に彼の姿を見たとき、私の体は一瞬にして固まった。


アレンくんがいる先の雪景色、それが見える、彼を通して見える。


「…アレンくん…身体が…」


痩せ型なその身体はだんだん透け始めていた。


『彼』という存在がこの世界から消え去ろうとしている。


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アレンくんに出逢う前の私は偏屈で意地っ張りな女の子だった。


このひと月の間、穏やかなときを彼と過ごし、優しさに触れて、温かさに触れて、ようやく素直な自分になれた。


アレンくんを好きになること、生き甲斐と思えるような恋をして、私の世界はこんなにも素敵に変わった。


…それなのに…どうしてなの…?


「…嫌よ…ずっと傍にいるっ…!」


どうか神さま、お願い、アレンくんを連れていってしまわないで―――


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「…アレンくん…ひとりぼっちにしないで…」


貴方の傍に、二人で一緒にいられるのなら私、何にも怖くない。


「…好いわ…死んだって構わない…私も連れてって…」


彼はぐっと瞑目してかぶりを振った。


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「『生きる』という意味を、リナリーは深く考えたことがありますか?


 僕は一度もなかった、君に会うまでは…。


 父さんと同じ病気、それが治ることはないって分かっていたから、運命をあるがまま受け止めよう、そう思って生きてきた。


 でもそれは『諦め』だった、僕は半分、生きることを諦めていた。


 そんな人生に希望なんて見当たらなかった。」


話に区切りをつけ、じっと私を見つめてきた彼が、銀灰色の瞳をきらきら輝かせる。


「だけど、あの病室で初めて君を目にしたとき、僕は希望を見つけられた。


 もっと長く生きていたい、元気な身体になって君と色んな話をしてみたい。


 リナリーと出逢えて、心の底からそう思うようになった。


 こんな形になってしまったけれど、僕の願いがこうして叶ったんですよ?


 本当に、本当に、嬉しかった…。


 そして君に近づけば近づくほど、もう一方の想いも強くなっていった。


 …生きているということが、どんなに幸せなことか分かりますか?

 
 人間同士の温もり、尊い命の鼓動を心と肌で感じられる。


アレンくんは意を尽くして訴えかけてくる。


『生命(いのち)をむげに扱ってはいけない』


私がそうすることを望んでいない、にわかにそう悟った、彼の想いを心知った。


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「君だけの希望を見つけられる日は来る、生きていれば必ず来る。


 かけがえのない命を大切にしてください。」


純真な気持ち、思いやりでいっぱいのメッセージ、アレンくんが残していく言葉を、ひとつひとつ胸に刻んで噛み締める。


「リナリー、泣かないで…。


 僕は君の笑った顔が一番好きだ、何よりも大好きなんだ…。」


「…うん…そうだよね…。」


私はひどい泣きっつらのままくちゃくちゃな笑みを浮かべた。


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「…アレンくん、最後におまじないをして。


 貴方ともう一度この公園で出逢えるように…。


 私がひとりの夜を乗り越えられるように…。」


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半透明に透いていく彼の顔が、そう言った私の顔にゆっくり近づいて、二人の口唇がそっと触れ合う。



アレンくんの唇はふんわり柔らかくて、まだとても温かい。


…まるで優しい夢のなかにいるみたいだ。


永いようで短いキス(おまじない)が終わると、アレンくんはいつも見せてくれるあの笑顔で微笑んだ。



「君は奇跡を信じますか?」



「…うん…うんっ…信じられるよ…私っ…」


…今なら…今ならそう…。


常識じゃ計り知れない奇跡の力、彼は命の限りそれを見せてくれた、素敵な夢を見せてくれた。


…だから私は…それを…今こそ信じることができる…。


じきにアレンくんの全身が蒼白い光彩を放ち、さらさらした粒状の白雪に姿かたちを変えていく。


「メリークリスマス、リナリー…」


「メリークリスマス、アレンくん…」


『さよなら』なんて言わない。


だって、私たち二人に別れの挨拶(ことば)は必要ないもの。


ねえ、そうだよね…?


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彼だった粉雪(それ)は目映いまでに美しく煌めき、吹きかける北風とともに高空を舞っていく。


いまだかつて見たことがないほどの、輝々とした空、その神々しさに心を奪われる。


「…貴方は本当に…空から舞い降りてきた…天使さまだったんだね…」


私は目縁から溢れ出る涙を拭おうともせず大空を眺めた。


白雪が一粒残らず溶けていくまで、いつまでもずっと眺め続けていた。


『いつも傍にいる』


どこからともなくそよぐ雪混じりの風に乗って、そんな澄み声が、かすかに耳元を掠めたような…。


…いいえ、それは私の空耳だったのかもしれない―――