哀別〜Deep sadness〜


一八七八年(明治十一年)五月十四日。


明治政府内務卿『大久保 利通』が、旧加賀藩士『島田 一郎』らに暗殺された。


諸人はその陰惨な曲事を『紀尾井坂の変』と呼称した―――


「これが志々雄のやり方だ!!」


川路殿の阿鼻叫喚が響き渡る。


昼間(ちゅうかん)、明治政府の中核をなす中枢人物を失った事で、混迷の渦中にある東京警視庁に拙者はその身を止めていた。


大久保卿の死去、紀尾井坂の変は歪曲された儘、俗世に名を残した。


虚構に固められた事件の実情、維新の元勲『大久保 利通』は国盗りを画策する志々雄の側近、『瀬田 宗次郎』に暗殺されたのだ。


「全国各地に配下の者を張り巡らし、得た情報を利用して犯罪を犯す。


 自分達は決して表に出ず、一斉蜂起のその日まで徐々に明治政府の力を削いでいく。


 大久保卿…。」


声涙倶(とも)に下る川路殿の後ろ影は甚だ哀切だった。


大久保卿から厚い信任を受け、彼もまた、内務卿を信頼し警察制度の確立に尽くしてきた。


その胸中は軽易に言い表わせぬ程、痛惜であろう…。


コンコン…


「失礼します。」


儀礼の挨拶と一時に豪奢な造りの門戸が開扉する。


「福島県令の山吉殿、大久保卿と言葉を交わした最後の人だ。」


川路殿は誰に言う訳でもなく、細小な声で力なく呟いた。


「東京での事務打ち合せを終えて帰県すべく、早朝方挨拶に大久保邸に参りました。


 それが真逆こんな事になるなんて…。」


山吉殿は肩を落としながら、最後に言い交わした大久保卿との対談内議を語る。


「国家の基礎を固めるには三十年の月日が必要、是までの十年は第一期『創業』の時期だった。


 是からの十年は『発展』の時期、内治を整え国内を充実させるこれが最も重要な時期。


 不肖ながら私はその第二期十年を万難を排しやり遂げたい。


 最後の第三期『守成』の時期は後進の賢者に任せ、合わせて議会を開き政体を民政へ移行。


 そして日本は『国民国家』に生まれ変わり…維新は真の完成を見る。」


拙者は山吉殿の直話に耳を傾け、断固たる改革を雄大に語っていた大久保卿の姿態を追想する。


鞏固な権限を持つ内務省を創設し、内務卿として事実上の独裁者。


『権謀術数』『有司専制』と言われ、貴殿の世評は良いものではなかった。


けれど、貴君は我身を省みず国家の為、敢然に邁進していたと拙者は所思している。


「旧時代を壊す事より新時代を築く方が遥かに難しい…そういう事だ。」


あの時の面差しを見れば大久保卿がどれ程の劇務を熟してきたのか、如何に日本の行く末を思慮しているのか、その『重責』は拙者にもひしりと伝わった。


「国民国家、江戸やこれまでの明治の様にお上が全てを決めるのではなく、国民が自分達の道を選んでいく国家か。


 壮大過ぎる理想だな。」


当て擦る辯口で斎藤が言った。


「だが信じるに足る理想だった…!


 大久保卿さえ健在ならば…。」


固く握った拳固を震わせて切に返す川路殿の言葉に、居合わせた一同は黙然とする。


「一つ気になったのですが。」


山吉殿が付言する。


「何時もは寡黙な大久保卿が、今朝に限って何故か珍しく多弁でした。


 真逆ご自分の死を予期していたとは思えませんが…。


 今日は何か日本の行く末に関わる大切な日だったのでしょうか…。」


大久保さん―――


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「号外!号外!


 大久保卿暗殺!!内務卿暗殺!!」


大久保利通暗殺『紀尾井坂の変』は世上を揺るがし大きな波紋を呼んだ。


臨時に号外が発行され、町中は『内務卿暗殺』の話頭で持ち切りだった。


物騒がしい人溜りの中、拙者は橋梁の上に佇立していた。


拙者の耳朶に憂世の人声が入り込む。


「今日からどうなっちまうんだ?」


「恐ろしい、大変な事が起こるかも知れない。」


「また戦が始まるのか…西南戦争みてぇな…。」


「政府が倒れるかも知れないわ!」


「維新はまた、振り出しか…。」


「幕末の混乱がまた、始まるのか。」


「嫌だ!嫌だ!もう二度と…あんな人死にが出るのは…!」


「神も仏もない者かのぉ…。」


この国が『国民国家』に生まれ変わった時、維新は完成するのだ。


信じるに足る理想だった…!大久保卿さえ健在ならば…。


是から確実に日本の『迷走』が始まる、この隙を志々雄は決して逃さないだろう。


薄汚ねェ政府なんざ、いっそ滅んじまえ!


取引の材料に使われる位なら、私は死刑台の方を選ばせて頂くわ。


俺はお子様だけど、剣心も志々雄みてぇに抹殺されてたかも知れねぇって事は解ったぜ。


剣心はもう人斬りではないんです!


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ふふふ…抜刀斎言ったろ…?


お前の本性は紛れもなく人斬りだよ…。


何処ぞと聞こえた声音の主、それは生血に餓えた浮浪人斬り、『黒笠』。


否、その声は若しすると、拙者に潜在する更なる自己。


『狂気の人斬り』が黒笠と云う男の姿容に化生し、拙者を嘲笑しているのかも。


「人斬りは所詮、死ぬまで人斬り。


 他の者には決してなれない。


 お前の生きる道は修羅道以外にはない。


 分かっている筈だ。


 その血に塗れた手は、剣を手放す事は出来まい。」


『志々雄 真実』、遊撃剣士の役儀に就いた拙者に代わって、『影の人斬り』を承継し数多(あまた)の要人暗殺を請負した元長州派維新志士。


果然、志々雄と現今の拙者の儘で相剋して、不殺(ころさず)の流浪人を貫く事が出来るだろうか。


斎藤との果たし合いで、己が『狂気の邪念』に侵蝕されるのをしっかりと感じた。


…それはあの時(幕末)の様な陰惨な心。


俺は…。


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人斬りは所詮、死ぬまで人斬り。


己の辞世に刃衛が拙者に向けて言い捨てた言句、その箴言が胸底を強く締め上げて、さながら迷妄の闇に引き摺り込まれる様だ。


しかし抜刀斎もまた、拙者の『真の姿』に違いはない。


闘いの中にしか生きられぬ定め。


時代が再び流れ始めた…。


留まる事はもう…許されない…。


既に皐月だと言うのに、桜花の花弁がはらはらと散る、そんな幻影を見た気がした―――


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自の中で唯一つ断ち割れない想念(おもい)、胸奥に引っ掛かって離る事の出来ぬ迷いがある。


それは…


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目先一面に広がる幻夢の世界、叢の蛍が放つ光はえも言われぬ絢爛さ、瞬く綺羅星の如く。


煌びやかな美景の中、一人佇む少女の姿を見付けた。


誰にも知られず、静かに去ろうと思っていたけれど…。


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「綺麗な蛍で御座るな。」


「剣心!」


黒漆の結髪を揺らし、少女はこちらを向く。


異し雰囲気に違和を覚えた彼女は、傍らへ駆け寄ると洞見の目色で拙者を見つめた。


「剣…心…?」


「大久保卿が今朝、殺された。」


「…ええ、知ってるわ…。」


「犯人は志々雄と、その配下の者で御座る。」


歪められた事変の真情に、薫殿の瞳は大きく見開かれた。


「この儘志々雄を、放って置く訳にはいかない。」


 拙者は京都に行くで御座るよ。」


愕然たる事々を一遍に告げられ、驚を喫した彼女は当惑を見せると悲し気に俯いた。


そなたを哀しませたくない、されど『自の定め』を変える事も出来ない。


「京都…あの頃に…十年前の剣心に…戻るの…?」


緘口していた薫殿が、薄弱な声で言った。


「分からない。」


自が今の儘で居られるのならば志々雄と見(まみ)えて熟議し必要ならば闘って倒すまで、だが抜刀斎に立ち戻ってしまったら。


「この十年、拙者は抜刀斎に立ち戻る事を固く自分に禁じてきた。


 しかし斎藤との闘いで、はっきり思い知った。


 拙者の奥底には、決して変わる事のない狂気の人斬りが住んでいる。」


「でも、でも直ぐ元に戻ったじゃない!


 どんなに抜刀斎に近くなっても剣心は剣心よ…!


 不殺(ころさず)の流浪人…」


気組みを決めた拙者に、彼女は思い止まる様にと懸命に諭告する。


初めて出逢った時もそうだった、そのひたむきな想いに何度心が救われたのか。


「これ以上ここに居れば、拙者は事ある毎に皆を危険に巻き込み、その都度抜刀斎に立ち戻っていく。」


もう誰も巻き込みたくない、危地な目に遭わせたくはない。


「初めて出会った時薫殿は言ってくれた、拙者の過去なんかに拘らないと、嬉しかった。」


あの邂逅が昨今の一事に思える。


「心休まる日々が続き、拙者は本当に一介の剣客になれるかと感じていた。」


愛しみ敬う貴女をこの記憶に留めておきたい、些少でもその記憶に残りたい。


一斉に舞う蛍は愛憐の如し優美な蛍光を放つ、不意に抱き寄せた己の胸元で彼女は震えていた。


最後まで哀しませてしまって、済まないと思う。


幾度も、数え上げれば切りがない、自儘な拙者を思い遣ってくれた。


未だ見ぬ男性(ひと)と巡り逢い、そなたは恋に墜ちて、固い契りを交わして愛を育み暮らす。


左様な幸せを拙者は願う。


「今までありがとう、拙者は流浪人、また流れるで御座る。」



何時か、己が重犯した罪業を贖罪し、允許の時が来るのなら。


その時は…―――


2006/11/12
〜美月〜


†二年前の駄文です(お恥ずかしい;